耳が聞こえないという障害者の扱い

聞こえないくらし

「聞こえない」ことは外見で判断できない

障害者と言われる人は、たいてい見た目で(なんとなくですが)障害を持っているとわかる特徴があると思います。

しかし、「耳が聞こえない」ことは、パッと見ると健常者と何ら変わらない外見のために、気づかれにくいという特徴があります。

相手に気づかれるシーンはおおよそ名前を呼ばれても気づかないというときや、電話が鳴っているときに電話を取らないときです。

まわりの人がおかしいと気づき、肩を叩いたり顔の前で手を振ったりします。

そしてはじめて、もしかして耳が遠いのかな?と気付いてもらえます。

 

わたしは、このシーンを何度も繰り返すうちに自分から自己紹介の時に耳が聞こえないことを言うようになりました。

 

「聞こえない」自己紹介

聞こえないことを自己紹介に加える時、なんとなく健常者に「かわいそう」「残念な人」などと思われたくない気持ちが加わり、こんなふうに自己紹介しています。

「私は、30代半ばで突然聞こえなくなりました。それまではバンドをやるくらい音楽にのめり込んでいて、ウォークマン時代からイヤホンを手放せない生活をしていました。」

「さいわい、聞こえなくなったのは左耳だけで、右耳は耳鳴りがなっていることを除けば電話も聞き取れます。」

「これから、私を呼ぶときに何度か聞こえずに無視したような場面があると思います。」

「でも、決して人を無視したりするような人間ではありませんし、何より呼んでもらえることはわたしにとってとても嬉しいことです。」

「大変恐縮ですが、名前を呼んでも振り向かないときは右耳に語りかけるか、肩を叩いてください、喜んで返事をするはずですし、その後の話を楽しみにしているはずです。」

こんなふうに、少し相手に負担をかけるものの、人が好きであるとこをアピールして、その後の人間関係を作り上げたいと言う意思をはっきり伝えるようにしています。

しかし、実はやっぱりわかりづらい・・・

しかし、仲良く慣ればなるほど耳が聞こえないことを相手は忘れてしまいます。そして、その度に・・・

「そっちはきこえないよ・・・」

「あ、ごめん」

というやりとりが発生してしまいます。

当然、相手は申し訳なさそうに、すこし会話も止まってしまうのですが・・・

 

わたしはこのやりとりを嬉しく思っています。

なぜか?

やはり「相手が細かな気遣いを必要としないくらい仲の良い人」と判断した証拠そのものだと思えるからです。

だから、一番近しい家族こそ、わたしの耳が聞こえないことを(心から)忘れていますし、障害だとも思っていません。

あなたも同じ経験があるのではないでしょうか?

寄り添っている人たちとの心の距離が、障害のおかげで計り知れるなんて、少し素敵に感じたりもするのです。

 

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