脳腫瘍の疑いによる緊急入院、そして緊急手術

脳腫瘍体験記

脳腫瘍による頭蓋骨内亢進、緊急手術

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左手足の感覚がない、とにかく自宅へ帰ろう…

右脳内に脳腫瘍が発達し、脳内の圧力を高めている(亢進こうしん、と言うそうです)ことから、左半身のマヒなどが発生。なんとか自宅まで車を運転して帰ったものの、理由を知っていれば当然車を運転しようなどと考えもしなかったでしょう。
しかし、痛みやめまいなども一切なく、左半身だけ言うことをきかないだけだったことから運転して帰ってしまいました。
自宅について家内に状況を説明したところ、病院勤務経験の長かった家内は即救急車を呼びました。

MRI検査の結果、右脳のほとんどに白い影が

病院では即日入院を勧められましたが、それなりに私も職場で管理職をしていることから、入院などとんでもない、明日から職場が大混乱すると思い、せめて翌日からにしたいと申し出ました。
しかし、医師は半分あきれたような様子すら見せ「でも、かなり大きな影が写っていますよ?」とMRI写真を見せてくれました。正直、私も家内も、これはもう駄目だと観念するほど、素人目にも明らかに危険な状態でした。
私は夜遅くにもかかわらず、職場関連のキーマンたちへ明日緊急入院することだけをメールして入院準備を始めたのです。

脳腫瘍の疑い、開頭手術を検討する必要があるとの診断

翌日から担当主治医との話し合いと検査が始まりました。現在もまだ正式には言われていませんが、病名は脳腫瘍(グリオーマ)、いわゆる脳のがんでした。
とにかく、側頭部直下に病巣があること、すでに亢進(頭蓋骨内圧力の上昇)が進んでいることから、選択の余地はなく開頭手術が週明けに行われることとなったのです。

初めての全身麻酔、ICU(集中治療室)での1日

何もかも不安だらけ、家族を残して二度と目覚めないかもと恐怖を抱いていた私に、心臓ペースメーカーを入れている大先輩が「3秒と持たず寝てしまうし、目覚めたらなにもかも終了しているもんだよ」と明るいメールを送ってくださいました。
はたして、その通りとなり、目覚めたときには頭蓋骨を開けて脳細胞を摘出嫉妬は思えないほど痛みもなく、ただただ何度も起きてはねむり続けていました。
窓ひとつすらないICU(集中治療室)は、昼か夜かすらわからず、何度も看護師に
「いま何時ですか?」
を繰り返し聞いたことだけ覚えています。

ICUから一般病棟へ、生還した実感を感じる

点滴や尿のカテーテルなどは刺さりっぱなしですが、4人部屋に入るほどの安置した状態。点滴が終わったことを知らせる電子ブザーすら生きていることを実感するひとつでした。
徐々に点滴の針やカテーテルに痛みを感じるようになり、看護師に要望を言うようになってきました。どうやら難しい手術であったものの奇跡的に神経系の影響が少なかったそうです。
窓のある病室に移った私は、まだ生きている喜びとともに家内と子どもたちに早く会いたいと願うようになってゆきます。
しかし、手術は令和2年5月18日月曜日。そう、新型コロナウィルスに対する厳戒態勢は病院にももちろん影響がありました。

新型コロナウィルスの感染拡大防止のための面会禁止

病院での集団感染を避けるため、病院ではよほどのことがなければ、患者との面会が一切禁止となっています(この記事を書いている現在も継続中です)。
手術直後も、着替え等を持ってきた家内は、ナースステーションに預けるだけで、顔を見ることも、会話をすることも許されませんでした。
これはすべての患者が同じ状況で、緊急でない入院をする人は先延ばしにしていたと後で聞きました。
実際、入院患者は非常に少なく、退院者のほうが上回っているため、一時は4人部屋の私の部屋は私一人、隣の4人部屋は空っぽという始末でした。
静かな病院内で、とりあえず私はスマホとノートパソコンを使って、仕事関係者と家族に最低限の連絡を取り続ける日々が続きました。

主治医からの明確な説明がないまま日が過ぎてゆく

手術から約1週間、わたしは初めての「てんかん発作」と起こしました。
両手がガタガタ震えだしたところまでは記憶があるのですが、その後気が遠くなって落ち着くまで寝てしまったようです。
後に聞けば、意識のないまま起き上がろうとする私を数人がかりで制していたとのこと。本人は全く記憶がりません。
一方、摘出手術の詳細や、今後の治療方針については主治医からの細かな説明はなかななく、正直、退院できないほどの状況になっているのだろうとしか思えない状況に、焦りと、せめてもう一度家族に会いたい一新でいらいらを募らせていました。
ところが、主治医、放射線医、看護師、リハビリの先生方共に、誰もが「あなたの状態はかなり幸運」とだれもが口を揃えて言い出すのです。
私は、手術が成功し、今後も治療をしっかりすれば、退院できるのだと感じ始めました。
そしてついに、先週土曜日、念願の退院を叶えたのです。
今後は毎日の放射線治療と抗がん剤服用は続きますが、自宅に帰り、家族の笑い声を、当たり前のように聞ける日が、また私には与えられたのです。

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