こんにちは、teaです。またまた久しぶりの更新になってしまいました。
現在、抗がん剤治療を終えて、早くも1年が経過しました。
健常者のように、毎日職場で仕事をしています。わりと普通な扱いで困るほどの多忙さです。
今回は、脳腫瘍摘出手術3年経過後の日常を綴ってみたいと思います。
抗がん剤治療が終わったと思ったら突然の兼務
令和4年6月、やっと2年間飲み続けた抗がん剤治療を完走しました。本当に辛かった。
吐き気、食欲不振、便秘、倦怠感、発熱。抗がん剤を飲むたびに、「どうしてこんなことに」と思わずにはいられない心境になりました。
毎月5日間連続服用で、体力はみるみるうちに落ちていきました。
右脳腫瘍を切除しても、左半身不随の後遺症により左手はもちろん、左足も以前のようには動きません。真っ直ぐ歩くことも難しく、平均台の上を歩くほどの注意力とバランス保持をしなければならず、本当に1日経つと疲れがたまります。
そんな私に、突然の辞令が下ります。
「7月から、新規事業の兼務を命ずる」
…はい?
今月やっと抗がん剤治療を終えたばかりの社員に、月末に兼務辞令?
部長に言い渡されたときは、さすがに冗談だと思いました。冗談ではなかったのですが…
がん治療直後の兼務は約1年続いた
プロジェクトメンバーは業務未経験者のみで構成されており、わたしが唯一の管理職。つまり、なにもかもやれということです。
まずは、執務室代わりの会議室に長机とパイプ椅子を運ぶことからです。電話回線の見積もりも、人材募集もこれから。元担当部署は肩の荷が下りたことで、完全にプロジェクトから手を引きます。
元部署は昼休憩も夏休みも取っていますが、寄せ集めプロジェクトメンバーは昼も食べず、夏休みも取れない状況。メンバーの一人はストレスで病院通いとなりました。
わたしの場合、いちばん忙しいときは1週間通して昼食が取れない時もあり、昼食がとれるとしても半年ほどは午後3時ごろに15分間で食べ終えるような業務でした。
プロジェクトは突然政府から降って湧いた業務で、何も知らないわたしたちはタイムスケジュールだけに追われることとなります。何が正解なのかもわからないまま、ただひたすら走り続けるしかありませんでした。
デスクは使い古しの長机、椅子はパイプ椅子。さすがにメンバー全員が腰痛に悩まされました。
普通に職場環境としてはひどい扱いでした。執務室もないので、会議室に無理やりLANを引き、ガムテープで這わせるような状態です。ここに派遣社員やアルバイトを含めて20人近くがすし詰めでした。
こんな環境で、新規プロジェクトを最終的に5つも立ち上げたのです。
今年に入ってようやく後任がつくこととなり、10ヶ月の過酷な仕事から卒業できることとなったのですが、いまだに腰痛は治らずじまいです。
兼務解除後の部署異動で新たな任務
兼務中に、本業であった部署から新しい部署への異動辞令が出ました。
兼務はついたままです。
そもそもがん治療中であることは人事も十分知っているのに、健常者の職員を使わず基礎疾患ありのわたしをどこまで使うのかと不思議でした。
わたしより有能な人材はいくらでもいます。
どうしてこんな無茶な人事をするのか…
最後の1ヶ月間は、2人だけ残った兼務メンバーのうち1人を人事課長に連れて行かれてしまいました。また、昼休憩ができない状態が続きました。
やっと兼務が外され、ようやくまともなサラリーマン生活に戻れると思いました。
しかしそれは希望的観測でした。
治療中でもさらに忙しい部署へ異動となる
次の異動では経営部門と経理部門をあわせたような部署となりました。経理は嫌いではないのでストレスはないので、粛々と業務をこなせばいいと思っていました。
しかし、与えられた業務は日常業務をこなせばいいというものではありませんでした。
またプロジェクトタイプの業務だったのです。しかもすでにスケジュールは逼迫ぎみ。さらに、全くの未着手です。
協力者がいないどころか、別の担当責任者からは仕事を割り振られる始末。
4ヶ月後にはプロジェクト開始…どうして誰一人声を上げないのか不思議でした。
いや、5年ぶりのプロジェクト、だれも触れたくないのです。
それがまかり通るような危険な状況でした。
サラリーマンを続ける体力にも限界が
放置されていた業務でも4ヶ月で形にしなければなりません。給料をもらっている以上、やらないわけには行きませんし、任されたという気概もあります。
まずは社外の専門家へ協力依頼をすることからスタートしました。ちなみに予算はほぼゼロ円です、笑いすら出ません。
術前であれば、精力的にやりこなしてやろうという気持ちが高ぶっていたことだろうと思いますが、5分あるくことすら休憩を入れないとツラいほどの体調では心もとないというのが実情です。
正直、今回のプロジェクトを最後に退職したいと考えています。いや、次の仕事のあてはまだ見つけていません。できれば自営業に切り替えたいと考えています。家業を継いでもいいのですが、できれば自分で切り開きたいと言う思いもあります。
そんなお財布事情とは関係なく、治療は続きます。
経過観察のMRI撮影は2ヶ月毎に変更
毎月、脳腫瘍の転移がないかを確認するためMRIの造影剤つき撮影をしてきましたが、抗がん剤を飲みきった時期から2ヶ月に1回の間隔に変更することとなりました。
現在のところ転移はなく、異常も見当たらないとのことです。
ただ、左半身麻痺の後遺症で、いまでも毎日てんかん抑制剤(イーケプラ)を服用しています。
がん治療中の患者に会社は興味がない
ツイッターで知り合った若い主婦の方が、乳がん摘出手術をされました。
抗がん剤治療を選択するかどうかはこれから決めるそうですが、摘出手術後3日めで職場復帰。
それだけでも驚きですが、なんとその方の勤務先から週末の休日出勤を要請してきたそうです。
常識的にというか、ありえないと感じるのはわたしだけでしょうか。
ほかに健常者が何人もいるのに、今週がん摘出をした女性に休日出勤を依頼する気持ちが理解できません。もちろん摘出手術ですから、縫合後も塞がっていないはずです。
つまり、会社の歯車というのは「個人のモチベーションを無視する」ということではなく「個人の心身状態が壊れるまで使い、不良部品になれば交換すればいい」という意味だったのだと感じました。
最近は精神疾患や、何々ハラスメントなど、個人の権利保護を過剰なまでに主張する社会人が増えたと嘆いていました。
いや、会社の対応がひどすぎるからこんなおかしな風潮になってしまっているんでしょうね。
せっかくネットインフラが発達した時代に生きている今、なんとか自宅で自営業できるようにしたいところです。
長々と綴りましたが、脳腫瘍摘出手術、2年間の化学療法、放射線治療のあとの日常をお伝えしました。会社に依存しているうちは守られること以上にストレスフルです。
ジャンボ宝くじ、当たらないかな。
年末しか買ってないけど…
teaでした、おじさんの長話にお付き合いありがとうございます。
また、折を見て更新します。