こんにちは、teaです。
約2年にわたる抗がん剤治療をやっと終えることができました。
今回は、脳腫瘍発症から今日までの流れをまとめます。同じ病気になった人の治療計画の参考になれば幸いです。治療はいったん終わりましたが、今後も月1回程度のブログ更新は続けていきたいと思います。
脳腫瘍の状態と発症時の状況について
もともと、30代に発症した聴神経腫瘍で片耳の聴力をほぼ失いました。聴神経腫瘍の治療法は、
- 開頭手術
- ガンマナイフ手術
が選択できました。
3cmを越える腫瘍は開頭手術しか選択肢はないそうですが、僕の場合は約1cmだったのでガンマナイフが選択でき、開頭手術をせずに治療できました。
ガンマナイフ手術後は、腫瘍が大きくなっていないかを確認するために半年ごとのMRI(エム・アール・アイ。磁力を使ったレントゲンのような画像検査)で確認する生活に。
聴力がなく、耳鳴りが24時間聞こえ続けていることを除けば、痛みなどもまったくなく、日常生活には大きな支障はありませんでした。
ただ、この術後検査をしていることで、今回の脳腫瘍が見つかったのです。
見つかったものの、数年に渡るMRI検査でほとんど動きがないため、脳腫瘍というより小さな脳挫傷の跡ではないかとの見解もあり、検査だけを続けていました。
ところが、頼っていた大学病院の判断が毎回変わるうえに、何の不具合もないため、ついにMRI検査すら行かなくなってしまったのです。
しかし2年前、夜の会議が終わったあと、帰宅直前に半身麻痺になったのです。原因は脳腫瘍。
右脳には軟式野球のボールくらいある黒い影がMRI画像に写っていました。
さすがにこれは助からないと感じました。
脳腫瘍発症から抗がん剤治療まで
ここから、現在までの2年間をお話しします。
- 半身麻痺の夜、緊急搬送(通っていた大学病院とは別の病院へ)。脳腫瘍の診断。緊急入院、すぐに手術と言われたものの一旦入院準備のために当日は無理を言って帰宅。
- 翌日入院、検査後8時間の開頭手術。
- ICUで2日間過ごした後一般病棟へ。
- 3日程度の寝たきり状態、抗がん剤治療開始。髪の毛がごっそり抜け出す。
- 車椅子生活まで復帰、3日間程度は付き添いなしのトイレ禁止。
- 付き添いなしのトイレ許可が降りるものの、別フロアへの移動は禁止。
- リハビリを1日あたり3種類始める。平日は毎日。
- 入院3週間後頃から別の階への移動許可が降りる。縫合糸の抜糸始まる。
- お風呂の許可が降りる。髪の毛を自分で全部剃る。ノートパソコンでブログを開始。
- 4週間後頃から抗がん剤が点滴から錠剤服用に。全30回の放射線治療始まる。
- 約6週間後、無理を言って退院を早めてもらい、退院。この間、コロナ禍のため家族を含めて面会禁止。
- 自宅へ戻るも、残りの放射線治療のため通院。自宅での抗がん剤服用始まる。
- 毎月抗がん剤を飲み続ける。入院から半年後、職場復帰。
- 2年経ち、副作用に苦しみながらも抗がん剤治療を一旦終了。
抗がん剤の副作用は、激しい便秘、胸やけ、吐き気、微熱、味覚障害など。
トイレ以外は寝たきり、食事も1日1食が限界の日が3日ほど続き、毎月体重が5kg前後落ちました
とにかく毎月の副作用が辛く、何度も抗がん剤を捨ててしまおうかと思いましたが、家族の将来、もちろん自分の将来も含め、失いたくない一心で耐えることができました。
脳腫瘍治療の抗がん剤治療の終了、そしてこれからの生活
今後は、毎月の採血検査、3ヶ月ごとのMRI画像検査を続けることになりました。
つまり、今後は効果的な治療法がないのです。
とにかく毎月の診察で確認を繰り返し、何事もないことを祈る。そんな新たな人生のスタートに立ったのです。
同じ病気になったあなたへ
僕が飲んでいた抗がん剤は、24ヶ月以上飲み続けても大きな効果がないと言われているものでした。
僕の脳腫瘍(グリオーマ)は、手術で約4cm切ったそうです。グレードは4。
平均的に2年半の寿命と言われているものです。
それでも今、僕は生きています。明日も仕事です。剃り上げた頭髪も、今となっては毎月散髪しないといけないくらいに伸びています。
僕は、今までに交通事故に会ったり、高速道路で居眠り運転してしまった(事故になりませんでしたが、80km/h出ていました)経験があります。どちらも命拾いしています。
今回の病気では、同じ症状の人が1年でなくなった例もあると医師から言われました。先日は、会社で30代の若者がガンで他界しました。
僕は、どうして助かっているのだろう?
もちろん答えはありません。
もしかしたら、明日、交通事故や天災で命を失うのかもしれません。
ただ、せっかく抗がん剤服用による副作用と戦ってきた努力が実ったこの生命を、精一杯生きていきたいと強く思います。
あなたも、平均寿命や統計の結果だけではなく、生きていけると信じて戦ってください。少なくともココに、まだ職場復帰ができるほど回復した実例があります。
応援いただいたあなたへ
このブログは、入院中に病室で開設しました。
正直、長くて2年程度の命なら、せめて子供が大きくなったときに読み返してもらえるようにと書いたものです。また、なにより妻に、僕がどんなことを考えて闘病していたかを伝えたかった。
そして、病室で出会った脳神経外科の患者さんたち、治療にあたってくれた医師や医療スタッフ、リハビリの先生たちへの感謝を伝えたかったのです。
遺言状として始めたこのブログで、まさか治療の一旦終了を報告できるとは思っていませんでした。
すでに、一部のブログ仲間にも読んで頂いており、闘病生活の報告も兼ねています。
1人の人間の闘病生活に声援を送ってくださったあなたへ、深く、強く、感謝を申し上げます。
ありがとう、心配してくれる時間をほんの少しでも割いてもらえたことに。
これからの人生も不都合がない限り、充実させたいと思います。
応援いただいた皆様、本当にありがとう。
これで闘病ブログは一旦終わりとなりますが、ときどきは更新していきます。
どこかの誰かに役立てるかもしれませんので!
ブログ管理人teaでした。